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鉄道遺構 野岡緑道を歩く


 
JR日豊本線の佐伯市の表玄関、佐伯駅。かつて佐伯防備隊へ軍需物資を運んだ軍用引込み線があったという。



 
佐伯駅から延岡方向に数百m歩くと、蟹田踏み切りに差し掛かる。この踏み切りの読み方は「がんだ」という。この地域の地名である。

訂正

 実はこの踏み切りは、行政区が「平野区」になるので、平野踏み切りであると聞いた。訂正する。



 現在は、一般国道217号に並行して走っているJR日豊本線の踏み切りとして機能しているが、昔は、このあたりから国道を横断する引込み線が存在したのだ。

 記憶によると、貨物車を牽引した機関車が国道を横切って引込み線に出入りするときは、この踏切が鳴って知らせていた。特に国道に遮断機はなかったと思う。この引込線、戦後、航空隊跡地に進出してきた興国人絹佐伯工場が、転用してパルプの搬入などに使っていたのだ。




 佐伯駅から本線に沿うように延びてきて蟹田踏切(平野踏切)の手前でカーブを描いて国道を横断する。今もその跡地が残る。



 引込み線を撤去した後の枕木が放置されている。これも鉄道遺構だろうか。



 
蟹田踏切(平野踏切)から、かつて走っていた引込み線の方向を眺める。昭和59年まで、興国人絹(興人)のパルプ専用線として使われていた。道路は線路を撤去した後舗装しなおしているので、跡は残っていないが、家と家の間に跡地として残されている。



 木々が並ぶ遊歩道になっている。このような住宅地にあると、有効活用されてなくなってしまうものだが、佐伯市はここを遊歩道にする英断を下した。さすが佐伯市である。

 なにより、ここは一企業の専用線というより、歴史的に価値のある専用線なのだ。日本海軍佐伯防備隊の軍用引込線なのだ。無敵艦隊発進の地としては、この軍用鉄道跡をうやむやにできないというものだ。



 現在は、野岡緑道としてアメニティ空間になっている。さっそく歩いてみよう。現在は一般国道217号にいる。下に拡大してみよう。




 遊歩道ということで車両の進入を防止するためだろうか、大きな木が植えられている。

 歩く分には邪魔にはならない。また、暑いときは木陰を提供してくれるのがありがたい。

 ところどころにある建物は、トイレである。総延長1325mの緑道に必要な設備だ。



 しばらく進むと、幹線道路に出る。引込み線跡は更に道を越えて進む。


左右を確認して渡る。
あれ、こんなところに緑道があったのかと地元の方は思うかもしれない。

かく言う主宰もそうである。見慣れた風景が出てくると驚きだ。



 昔はここをパルプを満載した貨物列車が興人の工場に向け進んでいたのだ。もっと前は軍需物資満載の貨物列車が佐伯防備隊を目指していたのだ。




 途中には休憩のためのベンチが備えられている。ちょうどよい日陰だ。



 ここは美土里橋。かつては、ここを貨物列車が渡っていた。現在の橋はかつての鉄橋の土台の上にある。


      
 この川は中川という。佐伯市がかつて島の寄せ集めだったころ、島の間を流れていた川だ。
島がつく地名は、かつてそこが島であったことをあらわしている。長島、中ノ島、向島、女島などみんな島だ。




 植栽があり、緑道としては狭く見えるが、引込み線としては機関車が余裕で通過できる幅を持っていた。



 更に進む。このあたりは、引込み線があったころ、興人の社宅が一面に広がっていたという。



 一般の道路と並行する緑道。マラソンコースやウォーキングのコースにも適当だろう。



 子どもづれにもうれしい設備だ。アスレチックである。向こうにあるのは鉄棒だろうか。



 疲れたらちょっと座るのもいいだろう。この広いベンチはもしかしたら、屈伸運動の用途に使われるのかもしれない。



 水のみ場発見。トイレが装備されているから、ここで水分補給を十分にしてもあわてることはない。主宰は男であるから、いざとなれば植栽にまぎれて....であるが、女性に「雉打ち」は勧められない。



まっすぐ伸びる引込み線跡。ちょっと休んでいこうか。風が心地よい。



野岡緑道の三分の一を歩いたようだ。案内板の現在位置で自分の足跡を見ることができる。



お、交差点だ。こんどはどこの道路だ。



 ここは住宅街の道のようだ。左右を確認して渡る。
 
 緑道はまだまだ続く。



  

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